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《Close Up》【砂原 果 / 《ミサンガインターナショナル》バイヤー】


 札幌のセレクトショップ『ジュイエ』や『ワウレトロ』など、人気ショップ数店舗のバイヤーを務める砂原果さん。国内外を飛び回り高感度で上質な商品を集めるほか、各店舗のディレクションも行うなど多忙な日々を送る彼女。新たな価値観とライフスタイルを創り出すバイヤーとしての舞台裏、そしてプライベートでの魅力的な素顔に迫る。


インタビュー(December,2011)
砂原 果 / 『ミサンガインターナショナル』バイヤー


>まずは現在の会社へ入社されるまでの経緯から聞かせてください。

 高校を卒業してすぐに、地元の洋服屋さんで1年半くらい働いていました。もともと古着が好きで、「自分で古着屋さんを開きたい!」という若かりし頃の夢があったんです(笑)。その頃に通っていたのが地元の古着屋さんだったんですけど、その世界にどっぷりハマってしまって。でも、どのショップも素敵な個性があるのですが、少しづつ自分の思い描くものと違ってきて、そのうちに「自分で海外へ行ってバイイングしてみたい!」という目標ができたので、仕事を辞めたんです。ちょうどその時に『チョコムー』(※1)のマユミさんを尋ねて、「自分でお金を出すので同行させてください!」とお願いしていると、『マグネティックモンスター』(※2)のコウさん(※3)から「アルバイトしてみない?」と誘われたのが現在のオーナーとの出会いでした。

>古着が出会いをつなげてくれたんですね。
 話を聞くと「友達の古着屋が函館で催事をやるから、そこの店番を頼まれて欲しい」ということで、面接という名目で札幌へ行ったんですけど、オーナーが1時間以上遅れてきて、「ごめん…二日酔いで。」って(笑)。それが初めての出会いでした。催事はもともと1ヶ月の予定だったんですけど、売り上げが悪すぎて、経営的にはすぐにでも畳んでしまいたいほどひどい結果でした。でも、私自身がすごく悔しくて、「もう少しだけ続けてさせてください!」とオーナーにお願いして、もう一度機会を与えていただきました。

>催事から『マシュマロ』というショップとして改めてオープンされましたが、当初は苦労されたようですね。
 売り上げが1日1万円もいかず、私の給料をいただいて何も残らない状態で、赤字に耐えながらずっと頑張っていました。他にスタッフを雇えるほど余裕も無かったので、オーナーと河田さん(※4)が交代で私のお休みをまわしに来てくれて、1年経つくらいにようやく軌道に乗ってきました。それで、今度は「もし月100万円売り上げたらバイイングへ同行させてください!」とお願いしたんです。

>それが初めての海外だったんですか?
 そうです。忘れもしないですね。ロサンゼルスへ連れて行っていただいたんですけど、レンタカーでアリゾナへ7時間かけて行って、スリフト(※5)をまわってという過酷な買い付けだったんですけど、カルチャーショックを受けましたね。

>イメージと現実ではギャップがありますよね。
 あの時は平均睡眠時間が3時間とかでしたね。かなりの重労働で、掘って掘って、ようやく1枚出るみたいな感じで、商品になりそうな物が全然見つけられなくて。物を見すぎて、だんだんわからなくなってくるんですよね。とにかく倉庫が一番驚きましたね。莫大な量の中から1000枚見て1枚抜くような状態で、「古着って本当に出会いだな」と改めて実感しました。初めてのバイイングから帰ってきた時は、自分がそんな想いをして探してきた物なので、「全部売れる!」という根拠のない自信に満ち溢れていましたね(笑)。

>その自信が大事なのかもしれませんね。
 その時はありがたいことに売れてくれたんですけど、2回目のバイイングで挫折を味わいました。やはり古着は出会いなので、初めての時はその機会に恵まれていたんでしょうね。あと、初めての時には無かったのですが、自分の中でライン引きというか、考えすぎて迷いが生じて、思うように買えなくなってしまったんです。それはすごくショックでした。

>仕事として行ってるからには、商品を集めなくてはいけませんよね?
 そうなんです。しかも、函館と札幌の店舗の分を集めなければならなかったので責任重大でしたね。2回目で挫折を味わって、次に行く時にはフラットな状態にして行こうと気持ちを切り替えて、4回目にはひとりで行きました。ひとりと言っても『チョコムー』のマユミさんとだったんですけど、憧れのショップのオーナーさんと一緒に買い付けへ行けるというのは不思議な感覚でしたね。すごく良い勉強になりました。

>バイヤーとしてどのような基準で商品を集められていますか?
 始めの頃は「本当に好きなものでなければ熱は伝わらない!」という想いもありましたけど、経験を積むうちにいろんなことを考えるようになりました。自分の好きなものだけが良い悪いではなくて、好みでないものにも良いものはたくさんあるので、現在はショップとしてのマーチャンダイジングに基づいた判断をしています。このアイテムを仕掛けていこうという提案が強くなったかもしれないですね。

>ショップで提案されているシーズンごとのテーマはあらかじめ考えられているのですか?
 多少なりとも考えています。仕入れ先のディーラーからも「今年は全国的にコレをどのバイヤーも買っていくよ」みたいな情報を聞くので、まったく無視はしません。その流行が自分達の雰囲気に当てはまるのなら柔軟に取り入れたいと考えています。

>そして、テナントから路面店へと移転し、現在の基盤となる『ジュイエ』としてオープンされました。
 もともと路面で展開するのが目標でした。当時は「古着=子供が着るもの」というイメージが定着していたので、そういう概念を取り払いうためにも、路面店でしっかりとした世界観を打ち出したかったんです。そのためには既存の形態では限界があって、物件を1年くらい探し続けていました。函館で路面店となると、あの街並みを活かした古き良き建物でというのが、私もそうですし、オーナーの願いでもありました。なかなか見つからなかったのですが、ある日ようやく出会ってオープンに漕ぎ着けることができました。

>路面店へ移転されてからは、セレクトにおけるヨーロッパの比重が大きくなりました。
 そうですね。古着は高校生の頃から好きだったんですけど、やっぱり自分にとって古着がファッションへの入り口でした。当初は「花柄のワンピースがかわいい」と単純に古着を楽しんでいましたが、そこから突き詰めていくうちに、その物に背景をもっと知りたくなってきたんですよね。化粧、髪型、音楽、すべてなのですが、突き詰めていった先に自分の好きなものの頂点に辿り着くじゃないですか。同じように、アメリカ古着から入って、サイケやフィフティーズとか、いろいろと見たり着たり、背景を調べていって、最終的に辿り着いたのがヨーロッパの古着だったんです。

>憧れのヨーロッパへ行かれてみていかがでしたか?
 奥深さを感じました。実際に現地へ行ってみると、見たことも触れたこともないようなまったく知らないことばかりで、「100年以上前からこんなにも素敵な洋服を着てたんだ!」という驚きと感動ばかりでした。ヨーロッパでは古着が高級ブランドのような扱いで、蚤の市へ行ってもガラクタを売るという感覚ではないんですよ。アメリカはリサイクル的な感覚が強いんですけど、ヨーロッパは物に対しての愛着がすごく強いように感じます。そのぶん、物の質は良いけど価格が高いという問題も出てきました。お客様からすると、「どうしてこんな高いの?」という疑問があるかもしれませんが、商品の価値と現地の空気をどう伝えていくかを考えるようになりました。でも、テンションはすごく高かったですね。

>そして、念願だった路面店を経て、現在の札幌へ移転された経緯を聞かせてください。
 当時はヨーロッパ古着を仕入れているショップも、函館にはありませんでしたし、札幌でもまだ少なかったんです。ショップとしては順調に伸びていたのですが、ショップの世界観をさらに突き詰めていきたいという想いが生まれてきました。そうなると、現状とニーズが折り合わずにズレが生じてきてしまっていたんですよね。ちょうどその頃に、一緒に頑張ってきたもうひとりのスタッフが辞めることになって、この先どうしようか考えていたのですが、これを機にもっとコンセプチュアルで、函館だけではなく、北海道全域や全国へ向けて展開していきたいと考えるようになりました。そのタイミングで札幌でやってみないかというお話をいただいたんです。

>ショップとして大きな転機でしたね。
 今になって考えると、いきなり『ステラプレイス』ってすごいですよね。でも、まだそのすごさをまったく理解していませんでした(笑)。函館のお客様は、販売員とお客様という枠を越えてつながってくれている方も多くて、寂しい気持ちもあったのですが、でも札幌へ行くと決めた時は、それを通り越えて「次はどんな人達と出会えるんだろう」という期待の方が大きかったですね。

>環境の変化に戸惑いや苦労も多かったのでは?
 やっぱり田舎者なので、人の多さには戸惑いましたね(笑)。接客ひとつにしても、それまで経験してきたやり方とは全く違いました。函館では、お客様といろんな会話をして、一緒に洋服を選んでという、ひとりひとりとじっくり向き合った接客だったのですが、札幌では同じやり方は通用しませんし、だからといって私達の店舗では説明がないと納得していただけない商品も多いので苦労しました。

>バイヤーとして、どのように知識やセンスを磨かれているのですか?
 雑誌やインターネットはよく見ています。ブランドの展示会や海外の現場でも刺激を受けますね。流行は海外と日本で全然違いますが、その時々でなるべく早く感じるよう努力しています。

>流行をある程度とらえながらも、独自の感性によるスタイルを提案されていますね。
シーズンごとにクローゼットの中身を全部買い替える人なんて絶対いませんし、そのシーズンを楽しむ物と、永く着続けている物とがあると思うんです。自分の思い描くお店は、お客様の“クローゼット”が見えて、そこへ提案をさせていただけるショップでありたいんですよね。

>入社されてから特に印象に残ってることはなんでしょう?
 たくさんあり過ぎるのですが…やはり上司達の行動力ですね。取引先の方達とお話した際にもよく話題に上るのですが、あの有言実行する行動力はなかなか真似できません。そして、私達の会社は本当に人に恵まれていると感じています。やはりショップは店単体だと7割で、そこに立つスタッフが加わって初めて100%になると思うんです。人に人が付くというのがすごく重要で、スタッフもひとりひとりに対して尊敬ができる人材が集まっていて、みんな自ら行動しようとしてるんですよね。だから、私はあまりあれこれ言わないようにしているんですけど、みんなからは何も言わない人だと思われているかもしれないですね…(笑)。でも、言われたことをただやっているだけだと覚えられませんし、身にならないと思うんです。例え失敗したとしても、その中から何かを気が付いて学んで欲しいんですよね。

>ところで、プライベートではよく飲みに出かけられているそうですね。
 自分では行かない方だと思ってるんですけど、でも周りからはよく言われます(笑)。私はファッションも好きなんですけど、飲食もすごく好きなんですよね。飲食店こそセンスの集まりで、アパレルとも共通する部分も多く感じます。それこそファッションと同じで、気になるお店はいろいろまわってみて、自分が好きなお店へ通うようになるんですよね。

>昔は一晩でテキーラを何本も空けられていましたが…(笑)。
 年に数回お祝いごとがあったりした時だけですけど…(笑)、あれがあるからこそ関係が深まるんですよね。普段飲みに行って出会う方もそうですが、結局、最後に残るものは人脈でしかないと思うんです。それを深めたいから外へ出ているんでしょうね。


※1 函館市の古着屋。
※2 函館市の古着屋。現在は惜しくも閉店。
※3 元『マグネティックモンスター』オーナー。現在は『函館豚丼ポルコ』店主。
※4 ミサンガインターナショナルのディレクター。
※5 アメリカの非営利団体によるリサイクルショップ。



text Pilot Publishing / photograph Tetsuei Yamahashi
August,2012



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