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Guest 北海道を訪れた今を輝くゲストのスペシャルインタビュー


ミュージシャン【高橋 優】


遅い春の訪れと共に、音楽活動の原点とも言える地・札幌へ、シンガーソングライター・高橋優がNEWシングル「(Where’s)THE SILENT MAJORITY?」を手土産に帰ってきた。震災から2年の月日が過ぎゆく中で、彼は果たして今、何を感じ、何を表現するのか。現実社会が抱える問題や矛盾を真正面から見つめ、自身の想いを訴え続ける彼の叫びはさらに熱く、さらに激しく、聴く者の心を強く揺さぶる。





インタビュー(April,2013)
高橋 優


>札幌へいらしたのは、いつ振りになりますか?

札幌は4ヶ月振りですね。ライブで来ることもありますけど、時間ができると遊びにも来たいので、4ヶ月前も仕事ではなくて、ただ遊びに来ただけです。年明けてすぐ、ひとりで来ました。僕は函館がすごく好きで、夜景も綺麗ですし、港町の雰囲気も良いんですけど、いろんな文化が共存しているのが魅力的です。寺もあれば、教会もあるじゃないですか。古き良き日本の伝統も残されていながら、最先端のものもちゃんと揃っていて、いろんなものが混ざり合っている感じが好きなんだと思います。

>札幌では大学時代を過ごされていますが、御自身にとって北海道へいらっしゃるのはどういう感覚ですか?
僕の中では北海道は第二の故郷なので、ライブやキャンペーンとかで来させてもらっても、やっぱりどこか思い出を振り返るみたいな気持ちが強いです。

>大学時代はいろんな経験をされたのでは?
大学時代はほとんど路上ライブでしたけどね。一番最初に始めた頃は狸小路四丁目でやって、それから人通りがあんまりないことがわかって、三丁目に移ってきたんですけど、三丁目に『ドン・キホーテ』ができてからにぎやかになってしまったので、それから二丁目に移って。結局、僕にとっては二丁目が一番落ち着きました。

>路上ライブを始められたのきっかけは?
高校の時に秋田のすごい田舎の方に住んでいたんですけど、その頃は家でどれだけ大きな声で歌っても、誰にも迷惑がかからなかったんです。だから毎日のように歌っていたんですけど、それがもう日課になってしまって、大きい声で歌ってないと不安になるくらい当たり前に歌っていたんです。それから大学進学で札幌へ来て、アパート住まいになったんですけど、近所迷惑になるし、大声を出して歌えないじゃないですか。それで歌う場所を探すうちに、路上に辿り着いたんです。

>バンドやライブハウスには向かわなかった?
当時はお金も無かったし、知識もなかったんですよね。使える人は使っていたんでしょうけど、僕はインターネットにも疎かったですし。だから、札幌にひとりでやってきて歌いたくなった時に、ライブハウスでブッキングしてもらうという発想にはならなかったんですね。とにかく、自分が歌いたい時に歌いに行ける場所が欲しかったんです。路上だと注意されたら止めなきゃいけないですけど、友達を誘ったり、ブッキングしてもらう必要もないじゃないですか。最初はただ歌えれさえすれば良くて、お客さんが欲しいわけでもなかったんです。とにかく歌える場所が欲しかった、歌っていたかったんです。

>活動を続けていく中で、手応えみたいなものを何か感じられたのでしょうか?
感じない時のほうが多かったですね、ほとんどが空回りというか。もっとこうしたほうが声が出るとか、こうやったほうがお客さんが立ち止まるかもとか、自分なりにいろいろ研究はしていたんですけど、全部独学なので結局上手くいかないことのほうが多かったです。手応えを感じたのは、音源化できた時とかですかね。北海道では自主制作で2枚作品をリリースしているんですけど、ただただ空に向かって歌っていたものが形になったのは嬉しかったです。でも、やっぱり路上で立ち止まってもらえたときが一番嬉しかったです。

>お金を稼げたりもしたのでは?
たまにお金はもらうんですけど、それを目的にしてしまうと本末転倒になってしまうので、アルバイトで稼ぐようにしていました。嫌なもんでしたよ、中にはそのお金を拾っていく人とかもいますから。「あ、落ちてる」とか言って。

>酔っぱらったおじさんが無茶なリクエストしたり?
はい。しかも、僕は歌わないんですよ。歌えないわけではないんですけど、やっぱりちょっと意固地になっているんですよね。「長渕剛っぽいオリジナルならあります!」って言って、オリジナルを歌うんですよ。そうするとおっさんから「そんな歌、知らねえよ!」って怒鳴られるんですけど、ただ声はデカかったので、声がデカいことだけ褒めてもらったり。「何の歌か知らないけど声はデカいね、兄ちゃん!」って褒められて、それで投げ銭みたいなのはありましたね。当時はずっと何かと闘っていましたね。音楽にしがみついていたんです。余裕綽々で良い楽曲が作れる自信は一切なかったし、本気でぶつかっていかないと、本気のものは返ってこないというか、こっちがその分代償を払わないと、何ももらえないという気持ちはずっとありました。だから、僕の持てるすべてを歌へ注いでいました。

>その当時からアーティストになることが将来的な目標としてあった?
そうですね。アーティストというと綺麗に聞こえてしまいますけど、音楽で稼ぎたいというか、一攫千金みたいな夢はまったくなくて、どちらかというとどうしたらサラリーマンや公務員の人と同じくらいの収入を得られるだろうか考えていました。例えば、ひとつのハコでライブをさせてもらうのにだいたい2万円かかるとして、チケットが2千円だと10枚売ればとんとんになるじゃないですか。倍の20枚を売れば、2万円バックがくるんですよ。一回のライブで30枚くらいチケットが売れる人間になれば、とりあえず生活していけるんです。当時人気があったバンドの中には、100人200人集められるバンドもいたので、自分もなれなくもないはずだ。そういうことを考えていました。

>当時の札幌の音楽シーンでは、バンドが盛り上がっていた中で、ソロとしての存在は異色でした。
バンドの中にひとり混じって演奏していましたね。でも、僕は自分でそれを望んでいたんです。いろんな人が出るライブだったら、観ていても飽きないじゃないですか。エモーショナルなロックをやる人がいれば、ダンスミュージックをやる人がいて、その中でひとりだけポツンと弾き語りで出ていたら、ひとつのジャンルとしてきちんと見てもらえると考えていたので、ライブハウスのスタッフさんにもそうブッキングをお願いしていました。

>今作「(Where’s)THE SILETNT MAJORITY?」は、聴き手に問いかけているように
感じられます。今回は特に、人と対話をしようという気持ちが伝わります。
楽曲もライブも、今まで自分の内に向いてたんですよね。どちらかというと自分の幸せとか、自分自身が笑顔になるためにはどうしたらいいかを、心のどこかで考えていたんです。でも、もうそれいいやって。自分が幸せになるには、自分ひとりでは成立しないということがわかったんですよね。ひとりだけでお金持ちになったり、ひとりだけで美味しいものを食べても、「美味くない!俺はそっちよりこっちのほうが美味い」って話し合える人がいて、ようやく幸せだと実感できるし、時にそれが面倒でも面白いんだと思うんです。喧嘩にせよ何にせよ、やらせてもらえる相手がいて初めてできることなんですよ。だとすれば、僕が歌わせてもらっているのは、やっぱり聴いてくれる人がいてくれるからであって、その方達と僕とのやり取りがないとおかしなことになると思ったんですよね。「俺は好きなことだけ歌う!聴きたきゃ聴け!聴きたくなきゃ聴くな!」みたいな感じではなくて、「今は聴けよ!その代わりお前らも何か聴かせてくれ!」という、その歩み寄りが必要な気がしたんです。

>歌詞にある”Blowin’ in the wind”や”Power to the people”は引用ですか?
はい。最近、洋楽とかいろんな音楽を聴いてるんですけど、温故知新というか、古きを重んじて新しきを知るのはやっぱり大事ですね。今回は使い古されてる言葉をあえて引っ張ってきて、それを楽しんでいます。たぶん、今”Power to the people”と聞いてもわからない十代の人達もたくさんいると思うんですよね。その言葉自体が素晴らしいから、単純に「“Power to the people”って良い言葉だな」と流してもらってもいいんですけど、意図としては「どこかで聴いたことあるぞ」とか「これってビートルズか?ジョン・レノンか?」と思ったりしてもらうことで、曲の中に一瞬別の景色が出るというか、今回はそういう表現をふんだんに盛り込みました。

>歌詞は毎作品、単語ひとつまでこだわりを感じさせます。
そうですね。言い回しひとつでも、それこそそこで”Blowin’ in the wind”でいいのかとか、“50基の核発電所”という言葉でいいのかとか、そういうキーワードの選び方や言い方、どこで登場させるかは毎回悩みますね。自分の考えている表現に対して文章力が追いつかないことはあるかもしれないですけど、自分の中で一個テーマになっていることが、柱みたいにきちんとあるとそれほど不安はないんです。怖いのは曲先行型で、曲に乗る良い音の言葉が欲しくて曲を作り始めると、メッセージが後付けになってしまって、ときどき迷ってしまう時もありますけど、ここ最近はまず一個テーマがちゃんとあって、それを元にさえいればどんな言葉でも大丈夫なはずだと考えながら曲を書いています。

>常にリアルタイムな”今”を歌われていますが、原発や地震を含めて、その時々で御自身が考えていること、感じられていることを反映されているのでしょうか?
僕の中で大事にしていることに、よく目にするもの、取り沙汰されていることが合わさって、自然とそれが自分の中でテーマになっていくんですよね。最近だとまた原発の話題が増えてきたりしていますけど、僕の中ではただ自然災害が起こっただけでは自然災害が怖いということにはならないんですよ。でも、自然災害の後に発生してる人災だったり、原発なんていうのはまさにそうで、自然災害が起きるかもしれないのに、そんな危ないところに危ないものを置いて、しかも震災から2年が経っても何ひとつ片付いていないなんて、超ダサイじゃないですか。そういう憤りがどんどん出てくるんですよね。いじめも一緒で、いじめが起こってしまうこと自体がだけでは留まらず、それがどんどん陰険化していって、人が死ななくてはいけなかったりすると疑問を感じるし、それがまかり通っている世界があまりにもムカつくんです。「…こんなことがありましたね。はい、次のニュースです。桜が咲きました。」って、ふざけんじゃねえよ!っていう怒りがどんどん溢れてくるんですよ。桜綺麗だとか、誰かと会いたくて君を想っているよみたいな歌も僕はもちろん大好きなんですけど、どうしても腑に落ちないんですよ。今回のシングルは、その腑に落ちなかった気持ちを前面に出しました。

>作品が時と共に変化されたりしますか?
いつも変わっていて欲しいと思うんです。インディーズの頃に「こどものうた」という歌を書いてるんですけど、あの歌は僕の中では“歌い捨てる歌”だと考えていたんです。テーマが、息子に暴力を振るう母親と、女子高生にセクハラする先生の歌なんですけど、それを書いた頃は今こういう話題が取り沙汰されているから、歌えるのは今のうちだろうと思いながら書いたんです。でも、今のところ不変なんですよね。学校で生徒に暴行をはたらいた先生が捕まったり、親が子どもを捨てたり殺したり、逆に子どもが親を殺そうとしたとかいう話題が、どんどん当たり前になってきているじゃないですか。古くなっていないのが逆に辛いというか。自分の歌なんて一瞬の出来事を切り取っているだけのはずなのに、意外とずっと何年もそのテーマが変わっていないんですよね。今のところ5年歌っていますけど、5年間何も現状が変わっていないことに対して、逆に僕が戸惑っているところもあります。

>きっと原発の問題も同じですね。
そうなんです。「(Where’s)THE SILETNT MAJORITY?」でいうと、戦争で亡くなられた人よりも、今自ら命を絶っている人の数のほうが多いそうなんですよね。そんな現状なんておかしいじゃないですか。その人を追い詰めて、その人が死を選ばなくてはいけない根本の原因がきっとあるんですよ。一概には言えないかもしれませんけど、僕は絶対に自ら命を絶たなくていいと思う。だから、この歌がもし古くなるのなら、自ら命を絶つ人がいなくならくてはいけない。原発が無くなるかどうかは別として、原発の問題は解決していなくてはならないんです。でも、現実としてしばらくそうなりそうもないじゃないですか。自分の歌が早く過去になって「こんなことが歌われていた時代もあったんだ」と言われるような世界になると良いんですけどね。「ヨイトマケの唄」が今になっても歌い継がれているように、僕の歌もそういう曲になれたら嬉しいですけど、現状は今目の前で起こっていることをただ歌っているだけなので、早く古くなって欲しいです。

>逆境や苦難を、御自身ではどのように乗り越えられていますか?
僕は落ち込んでますよ、毎回。僕自身は乗り越えられているかはわからないです。もしかしたら蓄積しているかもしれないですから…(笑)。現状、自分がどういう精神状態なのか、すべては把握できていないんですけど、不条理なことを目の当たりにすればするほど憤りは増していますね。嫌なことが起こって嘆いて、嘆くのも疲れたから目を逸らすみたいな、それが今一番格好いいやり方みたいになっていますけど、僕はそれをダサいと言う面倒くさい奴でありたいんですよね。「まず目を向けろよ!目を向けて泣けよ!」みたいな、そのおこがましさというか、不仕付けな問いかけをあえてすることで、僕も少しでも問題から逃げていたくないという想いはあるし、同じように共感してもらえる人をいつも探している気がします。



『(Where’s)THE SILENT MAJORITY?』
WPCL-11357 | ¥1,260(tax in)


『同じ空の下』
WPCL-11419 | ¥1,260(tax in)


3rdアルバム『BREAK MY SILENCE』
WPCL-11521 | ¥3,150(tax in)


【高橋 優】
1983年12月26日生まれ、秋田県横手市出身。札幌の大学への進学と同時に路上での弾き語りを始める。2008年、活動の拠点を東京に。2010年7月、シングル「素晴らしき日常」でメジャーデビュー。2011年4月、1stアルバム『リアルタイム・シンガーソングライター』をリリース。2013年には2か月連続シングルをリリースし、5月より全国ライブハウス&ホールツアーを敢行。
オフィシャルサイト http://www.takahashiyu.com



text Pilot Publishing / photograph Syouta Tanaka
April,2013




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