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佐々木拓大(札幌スーパーギャグメッセンジャーズ)『白い馬に乗ったジャパニーズ』(中編)


古着子供服を販売するショップ『クーパーズタウン』(※1)のオーナーであると同時に、お笑いグループ「札幌スーパーギャグメッセンジャーズ」(※2)の団長としての顔も併せ持ち、ライブやラジオのレギュラー番組(※3)など様々な場で活躍を続けている佐々木拓大。波瀾万丈な幼少期を経て、自分の足で地を踏み歩き始めた彼は、己の理想と自由を追い求め、広大な未知の世界へと飛び出してゆく。新たな北海道カルチャー誕生の瞬間。





※この記事は2003年3月にインタビューされ、2010年に再編集したものです。


>バイクに初めて乗られたのはいつ頃ですか?

16歳になってすぐ原付の免許を取りにいって、その頃に『つぼ○』でバイトをしていたんだけど、そこの店長さんが乗っていたホンダのMB5っていう、ダサいボロボロの原付をもらったんですよ。朝早く起きて、そのバイクに乗って遠くへ行ったりしてましたね〜。それが一番初めで、高校1年生の秋だったんだけど、当時の札幌って中型の免許をすぐに取れなかったんですよ。小型免許を取ってから1年経たないと中型を取れなかったの。でも、オレは次の夏にはでっかいのに乗りたいって思っていたから、冬休みに仲間と3人で静岡の掛川というところまで行って合宿で免許を取ったんですよね。お茶が旨かったわ〜(笑)。

>当時は日本車が人気で、ハーレーは珍しかったのでは?
そうですね。ハーレーに乗っている若い人なんて全然いなかった。日曜日になるとアメリカの警察官みたいな格好して乗っているおっさんがいるくらいで…(笑)。オレが16歳の頃は、ハーレーじゃなく、日本の旧車を乗っていたの。最初はみんな原付に乗っていたりして、2年目からカワサキのでかいの乗り出して、当時はそれが一番シブいと思っていてね〜。カワサキのゼットとかそういうの乗っていて、「ハーレーなんて遅えし、あんなの乗るヤツはクソ野郎だ!」なんて言ってたんだけど、仲間のひとりが偶然ハーレーを安く買ってしまったんだよね。それでちょっと乗せてもらったら、コレ良い!って盛り上がって、みんな乗り始めるようになって。「ジェロニモ」(※4)の後半がそうなっていた感じかな。

>その「ジェロニモ」ですが、結成もこの頃なんですよね。
バイクのチームをやるからって集めたわけじゃなくて、もともとガキの頃の連れがバイクを乗り出すうちに、自然とそうなっていったんですよ。当時「ガスタンク」(※5)というバンドで「ジェロニモ」という曲があって、それがすごい格好よかったので、その時にかぶっていたヘルメットに“ジェロニモ”っていうステッカーを貼ったら、みんなも貼るようになって。

>「ジェロニモ」は自然に組織化されていったんですか?
「ジェロニモ」本体は15〜6人しかいないんだけど、その下にいろいろできていって。チーマーみたいなのがいっぱいいた時代もありました。

>集まってどんな活動をされていたんですか?
真冬の夜に裸で駅前通りをランニングしたりしてました…(笑)。単車の思い出でおかしいのが、17歳の誕生日の日にひとりで稚内へツーリングに行って、ひとりで旅館に泊まってビール飲んでるの。「…北の街は寂しいな〜。」って(笑)。17歳のガキが何をやってんのって…(笑)。

>撮影でも着用していただきましたが、チームの刺繍が入ったお揃いの革ジャンが最高にシブいです!
当時は10代で革ジャン(ライダース)を着ている人がほとんどいなかったんだよね。革ジャンはパンクとかヘビメタっていう感じだったから。当時の不良の人ってスイングトップを着てるんだよね、ロックンローラーみたいな格好して。だけど、「オレたちはショットの革ジャンでいこう!」って言って。タトゥーを入れたりしている人もまだあんまりいない時代で調子こいてました。

>当時では珍しかったと思うのですが、タトゥーを入れられたきっかけは?
18歳の頃に東京でやっていたデニス・ホッパーの写真展を観に行って、その中の一枚に60年代のバイカーのカップルの写真があったんだけど、その兄ちゃんがすごい格好よくて。こういうの入れたいと思って探したら、横須賀の米軍基地の近くにタトゥー屋を見つけて、そこで初めて肩へ入れました。その頃から仲間もタトゥーを入れたり、ハーレーを乗り出したりしたんだけど、新しい不良のスタイルみたいな感じで注目されてたのかもしれませんね。

>今や北海道では伝説のチームとして名を馳せています。
ちょうどブームと重なったんですよね。いろんな雑誌なんかでも取り上げられて。チーマーという文化が札幌にまだ無くて、タトゥーを入れて、ロン毛で、革ジャンを着て、エンジニアブーツを履いて、クラブでパーティーを企画したりとか、その頃の不良のスタイルにしては異質な存在だったんですよ。その頃は、だいたいヤンキーが暴走族になったり、リーゼントにしてロックンローラーやって大通公園で踊っていた時代で、不良だった人は外見ではっきりわかる時代ですから。今ってどいつが不良かわからないじゃない?あれ、困りますね。

>ジェロニモのみなさんで、あの永ちゃんのライブにも出られたことがあるそうですね。
ありましたね。20歳の頃です。真駒内オープンスタジアムで。ハーレーでステージ上を走って、真ん中で停まってフカすんですよ、そしたらドンドン!って花火が上がって、永ちゃんが登場して。良い経験させてもらえました。給料として1万円もらってね。そのままみんなでブンブン単車に乗って『古典屋』へ行きました。

>その頃はお仕事は何をされていたんですか?
建築関係とか、夜の仕事とか闇の仕事とか…適当に働いていました。日本中うろうろと片道切符で旅へ出る自分が格好いいと思ってまして、沖縄で生活したり、横浜で生活したり、東京で生活したりで、行く所々で適当に仕事を探して、3ヶ月札幌にいて、3ヶ月どっかにいて…を繰り返す生活でした。新宿西口公園で路上生活していたこともあります(笑)。

>海外へも行かれていたそうですね。
初めての海外は、仲間みんなでアメリカへ行きました。初めてロザンゼルスへ降り立った時、空が青くて感動しましたね。オレのロックンロールの人生はここから始まるんだ!って勝手に勘違いしていました…(笑)。

>気持ちはなんとなくわかる気がします…(笑)。夢のアメリカではどのように過ごされていたんですか?
その時は、自分ひとりで不法滞在してでもアメリカにしばらくいようと決心して、そのまま知り合いを通じて日本食レストランで働きました。アメリカにはロックンロールがあって、アメ車とハーレーが走ってて最高だ!なんて想像していたんだけど、実際に行ってみるとそうでもなく…車なんて日本車ばっかり走っているし、曲なんてマイケル・ジャクソンとマドンナばっかりだし、現実は全然違って。アメリカへ自由を求めて行ったのに、そこのメシ屋が忙しくて、朝10時から入って、帰るのが夜0時で、おまけに休みもほとんど無い。日本にいる時より働いているよ!って…(笑)。そこにいた日本人の先輩もアメリカへ自由を求めて来ていた人だったんだけど、「ここには君が思う理想のアメリカなんて無いよ。」って軽く言われて…(笑)。でも、その時にメキシコ人とかいろんな友達ができて良かったですね。今でもたまにアメリカでメキシコ人の友達に会うと、変な田舎のメキシカンバーへ連れていかれて、テキーラを無理矢理飲まされてます(笑)。

>日本へはいつ戻られたんですか?
結局、そこの店で2ヶ月くらい働いていたんですけど、トラブルがありましてクビになりました…(笑)。とりあえず、ビザのある3ヶ月ギリギリで帰って来て、兄貴(実の兄ではありません)がオーストラリアで旅をしていて、「ハーレーを買ったからオマエも来い、一緒に走るぞ!」って。じゃあ、オレもオーストラリアへ行こう!ってことで、ちょっと金を貯めようと思って、東京でゲーム屋をやれば金になるからって聞いて行ったんだけど、すでにバブルが崩壊していて全然金にならなくて。埼玉の方で一軒家の1階にゲーム屋を開いて、そこの2階で天安門事件に加わっていたという中国人と一緒に生活して。やってみたはいいけど、地元のお偉いさんから因縁が入って、結局できなくなっちゃって。それで、バイクだけ先にオーストラリアへ送って、札幌に帰ってから現地へ向かう準備をするんだけど、やっぱり遊んじゃうでしょう…(笑)。金も無いし、ダラダラしてて…、結局行けるようになったのは次の年を越した2月くらいでしたね。半年くらい土方やったりなんだりして。

>そして、いよいよオーストラリアへ行かれるわけですね。
行く前は本当に金が無くて、片道のチケットは手に入れていたんだけど、あと1万円くらいしか残っていなくて。空港でみんなが餞別をくれて、10万円くらいになって助けられましたね(笑)。

>…用意されるのはいつも片道だけなんですね(笑)。
オーストラリアに着いて、単車を取りに行ったんだけど、本当に何も無いところで、ガソリンも全部抜かれた状態で、エンジンが全然かからないんですよ。スタンドも見当たらないし、2時間くらい押して歩いて。あれは重かったな〜。ガソリン入れてから、どうしようか考えて。兄貴はどこにいるかわからないし、知らない街だし、まいったな…って思いながらシドニーの街を走っていたら、なんかススキノみたいな繁華街があって。その前を通ったら、ハーレーに乗ったおっかないオヤジの軍団がいて、嫌だな〜って思っていたら、やっぱり呼ばれて。そしたら、「お前スゲーな!どっから来た?」って聞かれて、「日本から来てて、泊まるところがない。」って言ったら、「ここに泊まれ!」って。そのおっさん達が溜まっている後ろに薄汚いモーテルがあって、右隣がタトゥー屋で、左隣がストリップ小屋でものすごく環境が悪くて、トイレで危ないことをしているヤツはいるわ、人前でいかがわしいことをしてるヤツはいるわで、かなりおもろかったですね。しばらくそこにいたら兄貴とも連絡が取れて、「メルボルンにいるから来い。」ってことになってようやく会えたんだけど、兄貴のビザがあと1ヶ月で切れるからってことで、別れた後にオレはオレでオーストラリアを一周することにしたんですよね。

>旅の資金はどうされていたんですか?
当時はゴールドコーストに日本の企業がいっぱい入っていて、そこへ行けば仕事も何かしらあったんですよね。昼は免税店で働いて、夜は日本人の社長が来るようなクラブに務めたり、そこでいろんな人と知り合って、おいしい話が舞い込んできて、日系人を集めたパーティーの司会とかしたりしながらお金を貯めてました。ゴールドコーストへ行った時もハーレーのおっさん集団がいて、「仕事ないか?」って聞いたら、「明日8時にバイクに乗ってここへ来い!」って。それで行ってみると、ドラマの撮影だったんですよ。刑事がオレらの仲間のひとりをぶん殴って、ハーレーを奪って犯人を追いかけて、それをオレらが追いかけるというドラマの1シーンでした。それは面白かったですね。終わった後に打ち上げで船上パーティーがあったんですけど、きれいな女優さんがたくさんいてね…特に何もなかったのですが。バイクに乗っている連中が酔っぱらいながら「走りに行くぞ!」って騒いだり。そんなことがあったり、その街ではそのオヤジと仲良くしてから“白い馬に乗ったジャパニーズ”って呼ばれるようになっていろいろと助けられました。ありがたかったっス。

>どんな武勇伝を残したらそんな仲になれるんですか(笑)!でも、出会いって本当に大事ですね。
大事ですね。その後に一周の旅へ出るんですけど、4ヶ月くらいかけてゆっくりまわりましたね。オーストラリアの内陸の方はすごかった。人に会わないんですよ。動物しかいない、羊とかカンガルーとか。やたら暑いし。110kmくらいでずっと走っていたんですけど、ドライヤーの温風をずっと当てられてる感じで。とにかくやたら暑かったですね。

>オーストラリアの旅を経て得られたものとはなんでしょう?
楽しいことも辛いことも含めて、いろいろと感じたり経験して、得たものはたくさんありましたね。よく思ったのは、行く先々できれいな海とかすごい自然とかあるんだけど、結局ひとりだと感動が半減するんですよね。せっかく良いものはみんなで感動を分かち合いたい、共有したいなって思いました。この感覚はアメリカ的なので非常に微妙なんですけど…(笑)。でも、すごく思い出に残っているのはブルームという街で、いつも見られるわけじゃないですが、日の出みたいに夜に月が海から上がってくるのを眺められる浜辺があるんですよ。波が月の光に反射して階段のようになって、月まで階段が続いているように見えるんです。非常に幻想的な光景で、ロマンチックな情景なんですよ。その街に着いた日がたまたまその日で、カップルや家族連れで人がたくさんいる中でオレはひとりで眺めていて、みんなにも見せてあげてえなって思いました。


<後編につづく>


※1 『クーパーズタウン』
佐々木拓大がオーナーを務める、輸入子供服と雑貨の専門ショップ。2010年2月現在、2店舗を展開している。
url http://www.coopers-town.com

※2 札幌スーパーギャグメッセンジャーズ
札幌を拠点に活動するお笑いグループ。1994年に団長の佐々木拓大を中心に5人組のお笑いグループ「山鼻スーパーギャグメッセンジャーズ」を結成。1995年にはメンバーも11人まで増え、「札幌スーパーギャグメッセンジャーズ」と改名し旗揚げする。その後、メンバーチェンジを経て、2000年から現在のメンバーに落ち着き、年数回のライブ活動を開始。現在、ラジオ番組のパーソナリティの他、劇団の客演、TVCM、執筆活動など幅広く活躍している。
url http://www.s-gag.com

※3 『アタックヤング』
STVラジオが1970年10月から放送している深夜ラジオ番組。通称『アタヤン』。松山千春・KAN・田中義剛・山崎まさよしなどが歴代のパーソナリティを務め、深夜放送の黄金期を築いた歴史的番組のひとつ。札幌スーパーギャグメッセンジャーズの佐々木拓大と黒岩孝康は、2006年4月より水曜日を担当している。
url http://www.stv.ne.jp/radio/atayan/index.html

※4 ジェロニモ
佐々木拓大を中心に結成された伝説のバイカーチーム。揃いの革ジャンをまとい、ハーレーにまたがる姿は、北海道カルチャーの先駆けとして衝撃的な存在だった。

※5 ガスタンク
1983年に結成。日本を代表するパンクバンド。メイクや衣装などビジュアル系の走りでもあり、後のバンドに多大なる影響を及ぼした。1988年に解散。1999年と2006年の2度に渡り再結成している。2010年6月、22年降りとなる新作の発売が決定!
url http://www.gastunk.com


text pilot publishing/photograph kei furuse(studio k2)
March,2010



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