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《Interview》佐々木拓大 / 《札幌スーパーギャグメッセンジャーズ》【白い馬に乗ったジャパニーズ《前編》】


 普段は古着子供服を販売するショップ『クーパーズタウン』のオーナーとして、またお笑いグループ《札幌スーパーギャグメッセンジャーズ》の団長として、さらにはライブやラジオのレギュラー番組(※1)など幅広く活躍を続けている佐々木拓大。彼は自らを“素人”と明言するように、プロの芸人ではない。彼は知る人ぞのみ知る、“本物”のインディーズなのである。しかし、幼少の頃からたくましく個性的なスタイルを持った彼は、唯一無二の類い稀な人物であり、札幌カルチャーを語る上で欠かすことのできない大きな役割を担っている。その驚くべき波乱に満ちた様々な機会と経験、そして出会い…。世界情勢の悪化や歴史的な不況という先の見えない不安の中で、時代や流行に流されないその生き方は強く輝きを放つ。素人と侮るなかれ。−この漢、最高です!





※この記事は2003年3月にインタビューされ、2010年に再編集したものです。

>というわけで、まずは生まれから…。

 まずは生まれから…って、こんな企画で大丈夫なの?

>大丈夫じゃないですかね。(動揺しながら)
 まじですか?こんな素人のインタビュー、誰も読まないって!

>大丈夫ですって!…たぶん。(ちょっと心配になってきた)
 オレなら読まないもんな〜。たかが「ドラえも○」のニセモノやってるヤツのインタビューなんて。

>…いいんですよ、読みたい方だけ読んでいただければ!(完全に強がり)
 いや、いいんならいいんだけど…。

>では、気を取り直して…まずは生まれから聞かせてください。
 生まれは札幌の山鼻(※2)です。ばりばり山鼻人ですね。

>小さい頃はどんな子どもだったんですか?
 生まれたのが札幌の山鼻で、両親が離婚して稚内へ行って。小学校3年生の時に山鼻へ戻ってきて。小学校の同窓会とかあっても、全然変わらないって言われますね。普段からおかしなことばかりしてました。

>例えばどんなことですか?
 なんだろうね、小学校の頃は新聞配達して働いていましたね。月入が2〜3万くらいあって、今考えたら結構お金を持っていた小学生でしたね。その時180軒くらい新聞を配っていたんですけど、その頃から仲間が多くて、20人くらいに10軒ずつ覚えさせるんですよ。いつもは180軒の新聞配達をひとりでやって2時間くらいかかるんですけど、ひとりに10軒ずつ覚えさせてくばれば10分くらいで終わってしまうんですよね(笑)。そんで、終わったらみんなで遊びに行くっていう。

>小学生ですでにそんなねずみ講…いや、経営術を身につけられていたんですか。
 やってましたね、アホだったわ〜(笑)。新聞配達が終わって帰ってきて、どっかで適当にメシ喰って。あの頃って、うちの近所のガキどもは誰も家に風呂なんて無くて、みんな仲間で銭湯に行ってましたね。銭湯でもみんなギャグやってて、わざと靴下だけ履いたまんま湯船につかったりして…(笑)。それからお菓子屋やってる友達の家に行って、その日で賞味期限が切れる生クリームのケーキとか喰わせてもらって、夜22時くらいに帰ってきて寝るっていう生活でしたね。

>《札幌スーパーギャグメッセンジャーズ》(以下 札ギャグ ※3)のメンバーには幼なじみの方も多いそうですが、その頃から一緒だったんですか?
 《札ギャグ》の何人かもそうだし、《ジェロニモ》(※4)の中心にいるのはほとんどそうですね。

>新聞配達で稼いだお金は何に使われていたんですか?
 空気銃とか買って遊んでいましたね。田岡兄弟(※5)なんかは貧乏な子だったから、家に入れる生活費を稼いでいましたね。風呂が無くて、洗濯機を風呂代わりにしてましたから!本当!ギャグじゃなくてね。今これを読んでいる人は信じられないと思いますが…。それがあの二人の底力なんだと思いますね。

>想像を超えてますね…。
 オレの家は、自分の貯金なんかは親父の馬券代に消えてしまっていましたね(笑)。小学生の息子に向かって「倍にして返す」って本気で言ってました(笑)。返してもらったことは、もちろん一度もないです。博打好きでかなり借金してましたね。それで、親父は公務員だったんだけど、夜はススキノの居酒屋で板前のアルバイトしてましたね。

>…「サラリー○ン金太郎」よりギャップがすごいです。お父さんから何か影響を受けたりされていますか?
 やっぱりあると思いますよ。親父は面白い人でしたね。親父が言っていたのでおかしかったのが、「札幌で一番最初にジーパン履いたのがオレだ!」って…(笑)。もう頭痛いすわ。エルビスと同じ年齢で、ロックンロールっていうブームをダイレクトに受けた世代だったんですよね。ウチの親父の高校時代のアルバムを見ると、みんな坊主頭なのに親父だけリーゼントなんですよ。寄せ書きに“よしろうキッス100回記念達成!飲む、打つ、買う”って書いてました(笑)。

>確かにめちゃくちゃですね…。
 それから28歳くらいまで、アルバイトをしながら賭け麻雀で喰っていたらしくて、その頃の話がまた面白くて。仲間3人でインチキ賭け麻雀でしのいでいたみたいで、年末に2日間寝ないでススキノ中の雀荘を荒らして、今の金で何百万かにして、タクシーで定山渓へ行って芸者をあげたって話を死ぬ間際に聞き出しました。あと、当時の中島公園の辺りってアメリカの兵隊さんがいっぱい住んでいたらしいんですけど、そういう友達も多かったらしく、その辺の米兵からアメリカのタバコとかいかがわしいものなんかもらって、それをさばいていたっていう話をしてましたね。親父は5年くらい前に死んじゃったんだけど、唯一残してくれた遺産が消費者金融の38万円の請求書(笑)。

>…話を戻しますが、それにしてもたくましい小学校時代ですね。
 そんなことないですよ!でも、小学校の時の先生が指導力のある、すごくいい先生でしたね。その先生がいたから今があるっていうくらい感謝してます。サッカーなんてまったくやったこともないのにサッカー少年団を始めて、札幌で良い線までいくチームにまで育てっちゃったり。

>ドラマ化のオファーがあってもおかしくないですね(笑)。
 とにかくめちゃくちゃな先生で面白かったですね。小学生のオレに「酒は飲んでも飲まれるな!」って言ってました(笑)。

>でも、子どもってすごく敏感ですから、子どもに好かれる先生って本当に良い先生だったんでしょうね。
 その先生の影響はかなり強いと思います。その先生がいなかったら今の自分もないし、《札ギャグ》はないと思う。《ジェロニモ》もないし、『クーパーズタウン』(※6)もないですね。

>それほどまでに大きな存在だったんですね。(しみじみ)
 道徳関係には厳しい人でしたね。全然道徳できてないですけど。

>そして中学校時代を迎えられるわけですが。
 中学校はいい先輩に恵まれてましたね。

>ぶっちゃけ、ヤンキーだったんスカ…?(疑惑の目)
 ヤンキーではなかったですね。中央区だったので、ヤンキーはほとんどいなかったですね。先輩はいましたけど、オレらはバリバリのエイティーズな感じでしたね。パンク系の先輩が多かったから、雰囲気的にはその影響でちょっとパンクロックの方にも流れていったというか。

>どんな学生生活を過ごされていたんですか?
 まあ、やんちゃしてましたね。でも、シンナーを吸ったり、恐喝したりとか、グレた感じのことはしませんでしたね。家に帰らないで、マンションの屋上とかで生活とかしたりもありましたけどね。

>…プレハブとかですか?
 野宿。もろ屋上で寝たり。あと、マンションってボイラー室が必ずあるんだけど、その中に忍び込んで、ねぐらを作ったりしてね。暖かいんだよね、そこが。その中に勝手に入って寝たりとか。

>「ホームレス中学生」のはしりじゃないですか…。その頃にバイトはされていなかったんですか?
 その頃はしていないですね。中学生になってバイトしなくなったね。面白かったのが、夏の暑い夜なんかは学校のプールに忍び込んで、みんなで全裸で泳いでいて。そのうち警備員が見回るようになっちゃって、一度泳いでいる時に「コラッ!」って懐中電灯を持った警備員に追っかけられて、南22条から幌平橋のところまで全裸で自転車こいで逃げましたね(笑)。“全裸チャリンコ全速力”(笑)。あの画は面白かったな〜。

>面白いですけど、実際に目撃してたら絶対引きます…(苦笑)。その頃、お金はどうされていたんですか?
 昔って瓶を回収したら1本30円とかもらえたんだよね。あれを回収してくれる店の裏に行ってケースごと勝手に貰ってくるんだわ。そしてそのまま店に持って行って、ケース含めて引き取ってもらうんだよね。だいたい500円くらいにしかならないんだけど、そういう近所の商店のおっちゃんは、自分の店の裏から盗んできてるって完全にわかって引き取ってくれたんだな。「…しょうがね〜な〜、コイツらは!」っていう、完全に“昭和”ですね。

>…ところで、初恋とかされていなかったんですか?(ドキドキ)
 中学の時にすごい好きなヤツがいたんだけど〜、それがまたあまりビジュアルが一般的には良くないんだけど、気持ちのいい人で大好きでしたね〜。何回も告白して、全部フラれてましたけどね(笑)。そんで何年ぐらい前かな…その人と10年ぶり位に飲み屋で偶然再会したんだけど、そっからは普通のオジさんとオバさんの友達みたいな感じだね。なんにも無い(笑)。なんの感情も無い(笑)。

>年月を経ているぶん、重みのある関係ですね…。話を戻しますが、それから高校生になられます。
 高校に入るとバイトばっかり、ちょっとパンクバンドでしたね。その時のバンド名が《チ○ポタクオ&マ○コ兄弟》!ライブも1年に2回くらいやったりしていました。今を轟く《壬生狼》(※7)と一緒に。今、若いお兄ちゃんが路上で歌っていたりするけど、ああいう人達が全然いない時代で、駅前通りが夜になると歩行者天国になっていた時代、外人さんがただひとり歌っていた頃です。日本人で初めてだったと思いますよ!あそこで!しかもアンプを持って。その前の週にススキノでケンカして捕まったんだけど、その時におまわりさんに腹立つことを言われたので、その反発もあってやりました。結局またそのおまわりさんが来て口論になって。そんな警察とのやりとりがパフォーマンスになって、野次馬がたくさん集まって儲かりましたね(笑)。

>結果は後から付いてくるものなんですね。(感心しながら)…バンドはその後どんな活動をされたんですか?
 一応、デモテープを作って、東京と札幌で200本くらい売れましたね。伝説のコミックバンドです…(笑)。《スラング》のKOちゃん(※8)に聞いてもらってもいいです。

>学校生活の話が全く出てきませんが…(笑)、高校へは通われていたんですか?
 クビになりました。“退学”じゃなくて、“除籍”です。

>…除籍の理由は?(ビクビク)
 オレの親父が非常にいい加減で、入学金しか払っていなくて、1年半の授業料を1円も払わず、授業料滞納でクビになりました…(笑)。でも、クビになるあたりはあんまり学校へ行かなくなっていましたね。仕事が忙しくて。

>アルバイトをされていたんですか?
 『つぼ○』でバイトをしていて、そこは小さい店だったんですけど、オレと店長ともうひとりと3人ぐらいしかいなくて、忙しくて。学校が終わるとすぐ行って、仕込みやって、17時に開店させて深夜2時まで。それから店長とススキノへ飲みに行って、朝5〜6時くらいまで。その酒臭いまま、学校へ行ったり行かなかったりとかで。働いていましたね。時給420円で月に10万円以上もらってましたね。

>完全に不良じゃないですか…(笑)!


= 《中編》につづく=


※1 『アタックヤング』
STVラジオが1970年10月から放送している深夜ラジオ番組。通称『アタヤン』。松山千春・KAN・田中義剛・山崎まさよしなどが歴代のパーソナリティを務め、深夜放送の黄金期を築いた歴史的番組のひとつ。《札幌スーパーギャグメッセンジャーズ》の佐々木拓大と黒岩孝康は、2006年4月より水曜日を担当している。
url http://www.stv.ne.jp/radio/atayan/index.html

※2 山鼻
北海道札幌市中央区の南側に位置する地域。商店街など古き良き当時の面影を残す住宅街。

※3 札幌スーパーギャグメッセンジャーズ
札幌を拠点に活動するお笑いグループ。1994年に団長の佐々木拓大を中心に5人組のお笑いグループ《山鼻スーパーギャグメッセンジャーズ》を結成。1995年にはメンバーも11人まで増え、《札幌スーパーギャグメッセンジャーズ》と改名し旗揚げする。その後、メンバーチェンジを経て、2000年から現在のメンバーに落ち着き、年数回のライブ活動を開始。現在、ラジオ番組のパーソナリティの他、劇団の客演、TVCM、執筆活動など幅広く活躍している。
url http://www.s-gag.com

※4 ジェロニモ
佐々木拓大を中心に結成された伝説のバイカーチーム。揃いの革ジャンをまとい、ハーレーにまたがる姿は、チーマー文化の先駆けとして衝撃的な存在だった。

※5 田岡兄弟
佐々木拓大のおさななじみであり盟友。アメ車のメンテナンスはもちろん、ファインチューンから本格的なドラックチューンまで手掛ける専門カーショップ『ガレージ・パイレーツ』を札幌で営む。
url http://www.pirates-performance.com

※6 『クーパーズタウン』
佐々木拓大がオーナーを務める、輸入子供服と雑貨の専門ショップ。2010年2月現在、2店舗を展開している。
url http://www.coopers-town.com

※7 壬生狼
札幌Oiシーンのカリスマ的存在。海外での評価も高い。前身となるバンド名はプリティードーナツ。

※8 スラング
1988年に結成された、札幌を代表するハードコア・パンク・バンド。ヴォーカルのKOは、札幌のライブハウス『クラブ・カウンターアクション』、 レーベル《ストレートアップ・レコーズ》、レコードショップ『スラッシュシティ・レコーズ』などのオーナーでもある。
url http://www.slang1988.com


text Pilot Publishing / photograph Kei Furuse(studio k2)
March,2010



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